Lab Report 004

Lab Report 004

三人称視点VRライブシステムが

身体機能に及ぼす影響についての考察


リリース日 2019/1/21

報告者 浅子雄一郎 七沢智樹

概要

「三人称視点VRライブシステム」(特許出願中)を利用した動的なアクティビティにおいて、Report 002で報告したアンケート解析結果につづき、本稿では、2018年11月16日に弊社東京事務所のGINZA SEVENで行われた、武術研究者・甲野善紀氏と、甲野善紀氏の武術指導アシスタントである身体技法研究者・甲野陽紀氏によるVR体験と両氏のコメントから、このVRライブシステムが及ぼす影響について、とくに身体機能にクローズアップしたものについて報告する。尚、前稿におけるVRライブシステムを用いた迷路のアトラクションを「動的アクティビティ①」としたうえで、本稿では、以下に報告する動的な実験及び検証を「動的アクティビティ②」とし、両者の動的アクティビティから導かれる仮説について提示する。

1. はじめに

甲野陽紀氏によるVR体験(動的アクティビティ②)として、当日は「三人称視点VRライブシステム」を使用して、以下のような実験が行われた。


A. VR映像で相手の背中だけが見えていて、自分の姿がほとんど見えない中で、ヘッドセットを装着したまま互いに握手をする実験。

B. VR映像に相手を映しながら相手の腕を引いたり、ヘッドセットを装着した者が相手から押さえつけられた状態で、その映像を見ながら立ち上がろうとする実験。

2. 実験と考察

2.1 情報の遮断


実験Aでは、目の前の相手が自分に向かって動き出すと、相手が自分に近づいてくるのが通常である。

ところが、三人称視点VRライブシステムの中継カメラが相手の背中を映す環境においては、ヘッドセットを通してその映像を見たとき、相手が自分に近づくほど映像の中の相手の背中は遠のいていくという、現実とは異なることが起こる。

このときに表れた反応は、VRの映像と実際の動きとのギャップへの戸惑いではなく、人が「暗闇」の中で見せるものに近い挙動や、内的な反応が観察できた。すなわち、「動き出して握手をする」という前提があると、相手に触れることがわかっているため、暗闇のときのように相手との距離感や気配の感度のほうが上がり、映像(視覚)自体はほとんど見なくなっていた、ということである。(図1)

したがって、前述のVR映像の中の相手が離れていく現実とのギャップについても、ほとんど気にならない様子であった。

また、「暗闇」と氏が例えた表現には、前回報告したVRにおける「情報の遮断」という感覚・特徴についての言及とも解釈することができる。つまり、「情報が遮断」されたと感じることで、(危険回避のための状況分析を優先する反応も加わり)脳が情報を集めようと「今ここ」における様々な状況判断に動いた結果として、「相手との距離感や気配の感度のほうが上がった」と推測される。

このように、「視覚の優位性」がVRによって奪われたと感じるとき、その視覚情報を補うような形で他の感覚器官の感度が高まるのは、人の知覚における視覚の重要性からも、十分に起こり得ると考えられる。

2.2 ‟間”が引き出す「安定」と「力」


身体機能や身体能力の観点から、VRを利用するポジティブな意味合いについて問われた甲野氏は、次のように述べている。(甲野氏の近著に『身体は「わたし」を映す間鏡である』)

「鏡のおもしろさは、『間』として機能すること。VRも『間』として、鏡の効果、または鏡の代用になる。」

「鏡の効果」「間」とは、例えばしゃがんだ状態のAをBが上から押さえつけている場面において、Aがなかなか立ち上がれないとき、このAが鏡を使ってBのどこか一部を映し出して、Aはその鏡に映ったBを見ながら立ち上がろうとすると、いとも簡単にBの力を押しのけて立ち上がってしまうという現象に見られる。(図2)

これは、Aが「自」、Bが「他」、鏡が「間」として機能した例であるが、まず鏡の基本原理について甲野氏が述べたものとして、「(鏡で)相手を認めることによって動きやすくなる」というものがある。

ここでは、鏡が相手を認める「間」として機能することで、押さえつけられていたAは動きやすくなり、Bの力を押しのけて立ち上がれたわけであるが、VRにおいても、映像に映った相手を見ながら立ち上がると簡単に立ち上がれることから、VRが鏡と同じような効果、つまり、「自」にも「他」にも偏らない「間」という安定や、力を引き出す効果をもたらすということがわかった。(実験B)

図1

図2

また、甲野氏が常に述べることで、「見る」より「注意を向ける」と意図したほうが、より安定する。「見る」では、視覚情報に偏って安定しないことが、その理由である。

鏡やVRにおいては、視覚的に「見て」はいるが、実際には、視線は鏡の(または映像の)「向こう側」にいっているという。これにより、「注意を向けている」状態となり、安定するということが起こる。

このVRがもたらす「安定」は、VRライブシステムのもう一つのメリットとして捉えられるだろう。

VRを使用して祓い鎮魂を行う際も、VRを通して自分を見ることで「注意を向ける」形になって自分が安定するが、対相手(自分の動きに制約がある状況)においては、VR映像の中の自分を見てしまうと、鏡効果が表れないことが分かった。(鏡においても同様であった。)

これは、自身を鏡で見て有効なときは自身の動きを制約するものが何もない状況のときであり、その自身の動きに制約が加わるような状況においては、その対象を認識することにより、自身の制約の要因を把握するとともに動作の滞りが解消することになると考えられるが、ここでひとつ、実験のような場面での対相手におけるVRの使用では、映像を通して相手を見ることで、力を入れずに立ち上がるのはどういうことかを体験することができる、というメリットを観察することができる。

2.3 VRがカットする情報


鏡が相手(対象)を映すことで、自と他の関係が結ばれて動きやすくなるように、VRも鏡も、「目を使って目ではない効果を引き出すことができる」といえる。

つまり、VRや鏡を通して見ると、実際には「見て」いない。「見る」と情報が多過ぎてしまうので、その「情報をカットしてくれるような役割」が、VRや鏡にはあるのではないか、ということも明らかになった。

この見解は、前回の報告や本稿の2.1で観察できた「情報の遮断」に通ずるものといえよう。ここではさらに、「情報が遮断(カット)」されることで、安定がもたらされたり、本来の力が引き出されたりするという知見が得られた。

したがって、施術される自分の姿をVRの映像で見ながら受けると治療効果が上がるのも、「見て」いるからではなく、VRを通すことで余計な情報がカットされることによって、「注意を向けている」という状態になるからであると考えられる。

これは、たとえばケガをしたら、そこに注意を向けていれば治ったり、ケガをしたときに、ケガをしたところをさすることに似ている。

2.4 VRが解放する制限


また、人は何かをしようとするとき、「できるかできないか」という判断を、経験則から絶えず自動的に行うものである。ところが、VRでは、そういった判断や予測をさせないという特徴があることもわかった。

つまり、VR映像では、実際に目で見たときに自動的に絶えず働いていた予感が機能しなくなり、いまやるべき目的に対して余計な制約を自ら課す事なく動けるようになる、ということである。

たとえば、相手と対峙したとき、通常自分は、常に倒れないようにする意識がはたらいている。実はこのように、まずは自分の安全圏を保ちながら相手と対峙しており、絶えずその余力で動こうとしているために、たとえば自分の体重をうまく使って相手を倒すといったことができないという。

ここで、このようなVRによって、「できるかできないか」と判断する自分が捨てられてしまえば、ものすごく大きな力が出せるといえるだろう。この点においては、「ブレーキがなくなる」という感想も見られた。相撲の稽古など、スポーツの分野でも応用できるのではなかろうか、という意見もあった。

この現象は、「できるかできないか」と脳が判断する「情報をカット」している状態とも解釈することができる。

つまり、三人称視点VRライブシステムによって引き出される安定や力とは、その安定や力が阻害されている(と脳や意識が判断している)認識から、その情報(認識そのもの)を遮断することで、「おさえつけられている」といった現実での力関係などの影響から解放されている姿として、捉えることもできるのである。

2.5 当該実験における課題と展望


実験Aにおいては、あえてVRの映像を見ない等の「切り替え」行為が見られたが、被験者が一様にそのような反応をするとは限らない。したがって、VRライブシステムを使用するにあたっては、どのレベルの人には有効で、どのレベルの人には有効でないかを明確にする必要性が出てくるといえる。

また、VR体験を「やればやるほど」といった伝え方をすると、「見る」という視覚に偏ってしまう危険性を招き、とくに身体を使う者においては、注意事項として挙げられる。

このように、(「すべからく皆同じ効果を得ることができる」といった言い方はせず)動的利用と静的利用では、効用や使い方などがどう変わるかについても、明示したほうが良いだろう。

また、VRライブシステムの展望、可能性として、たとえば、立ち上がりにくい人が立ち上がるとき、「膝裏を見て立ち上がってください」といった形で、VRによって普段見えないところを見て動くということができる。(実際に、膝裏をVRで見て動くと動きやすくなることがわかった。)

その他、技の向上やスポーツ選手の能力アップという目的をもって行う場合は、力の入れ具合など、その目的を達成するためのアシストとしてVRが使えるのではないかと、氏は述べている。

心理学的な応用としては、たとえば、昔つらかった学生時代の卒業アルバムを見たとき、そのときの感情が出てきたりするが、VRでは、その感情を少し引いて見ることができるといった感覚に近いのものを体験できる。自分を、鏡やVRなどの「フィルター」を通して見ることで、ありありと出てくることなく、少し引いて見ることができるということである。

この点での応用が考えられる場面として、たとえば緊張しがちな人は、いつも動くたびに緊張に意識がいってしまうものだが、VRなどを介することによって、映像として見えているほうに注意が向きやすくなるので、緊張に注意が行かず動きやすくなるということが考えられる。

このように、本来人は、そのくらい動きやすい身体を持っているということを思い出させ、VRはそれを引き出すことが可能になるという役割も期待できるといえる。

3. まとめと仮説

三人称視点VRライブシステムを体験いただいた甲野氏のコメントを総合すると、「情報を遮断(カット)する」というVRの一側面が、様々なものを説明し得ることに気がつく。

たとえば、鏡やVRが「間」として機能する場面において、「間」とは、現実世界における「自」や「他」といった情報が‟カット”されているポイントとして、捉えることができる。(同様に、「見る」よりも「注意を向ける」ほうが、幾分情報がカットされるだろう。)

その情報とは、たとえば押さえつけられている状態から立ち上がろうとするときの、「自」における筋肉のこわばりや感情、「無理だろう」という判断、予測や記憶、「他」からかけられている力、圧力、感触等にあたると考えられるが、ひとたびVRのヘッドセットを通して見ることで、三人称視点からそれらの情報が俯瞰され、かつそれまで複雑に絡み合っていた情報が単にVRの「映像」として置き換えられることで、現実世界の中で意識や脳がまとっていた(溜め込んでいた)諸々の情報(=制限)がカットされ「自由」になった、または、その制限が緩和されたと推測することができる。

それによって、制限がかかっていた部分が解放され、現実の認識下では到底できなかったような動きができるようになった、という仮説を導くことが可能となるのである。

換言するならば、VRとは、現実世界における記憶や周囲との力関係、制限(リミッター)といった、意識や脳が自動的に処理する、自他に由来する現実のなかで被っている(と意識や脳が判断している)影響や関係性から、脳と意識を解放するものとして機能し、その結果として、現実の認識下では考えられなかったような力や能力を引き出すことを可能にするものとして、ひとつ特徴づけることができよう。

実際の実験でも、鏡やVRに自分や自分と相手の両方を映すと力が出なくなるという結果が得られたが、これは、自他の関係やそれらにまつわる「情報」の増大と、それによって、エネルギーが分散されてしまったからであると考えられる。

また、「見る」と視覚情報に偏り過ぎてしまい、「安定」を失うということであるが、この安定を、(高速で回転する)中心軸の安定したコマと例えるとき、「間」のもたらす安定や力が引き出されるポイントとして、コマが描く円の中心軸(中心点)を想起させる。

これは、意識の成り立ちや構造について説明する際のイメージとも重なり、たとえば円の中心点を「自己超越ポイント」とするなど、VRによって、意識の構造やリミッターが外れること、または安定することやゾーンとの関係性について、明快な説明が可能になることも期待されよう。

そして、VRによって治療効果を引き出したり、心理的な問題の緩和に導いたり、祓いと鎮魂の効果を最大化したり、潜在能力を引き出すといったことにも、このような「情報をカットする」要素が一つ働いているという推測も立つ。

すなわち、治療効果の面では、患っているという意識状態(情報)から自由(フラット)になることで、そういった意識や認識の影響を受けずに、施される治療を素直に、最適に受けられるようになったり、心理的な問題は大抵認識の誤った偏りに由来するが、そういった偏りから自由になることで認識の最適化がはかられたりすること等が考えられる。


このように、VRを利用することで、長年の修行や鍛錬を抜きに、誰でも意識や脳による制限を外し、制限されていた潜在的なものを引き出したり、(ゼロポイントフィールドではないが、)治療や祓い清めのような効果をあげることを阻害する因子を回避し、それらが及ぼす効果を最大化することに寄与するツールとして捉えることができ、今回のVR体験を詳細に観察することで、あらためてVRのもつ可能性が浮き彫りとなった。

VRでは「引く(カットする)情報」ということで、ロゴストロンとはまた違ったアプローチとして、情報ーエネルギー物質(DCT)の理論と、人の全階層が最適化される関係を、「情報」を起点としたテクノロジーとして、より立体的に見せることも可能になるだろう。

また、おもに身体を動かすスポーツなどの分野においては、VR映像を通して「注意を向ける」という感覚を発動して動きの調整をはかることや、現実世界の認識下ではできず、VRを通してできるようになったことがあれば、その動きや感覚をニューロフィードバックのようにして身体に覚えこませることで、「間」という‟自己超越ポイント”を開発するといった形での応用など、VRによる能力開発やパフォーマンス向上への貢献も期待できると考えられる。

三人称視点VRライブシステムにおける「情報を遮断」する特徴は、意識や脳による制限的な情報(認識)を外し、制限されていた潜在的なものや本来の能力を引き出したり、治療等の効果をあげることを阻害する因子を回避して、効果を最大化することなどに繋がると考えられる。